アテネ・フランセの歴史

1913年 1月21日 東京帝国大学文学部講師 agrégé des Lettres, Joseph Cotte 先生が神田区東京外国語学校内で「高等仏語」(Cours Supérieur)の名でフランス文学の講義を始めた。入学申込書は全部フランス語で記入することになっていた。
1914年 「コンサイス仏和」の著者丸山順太郎氏が協力者となり、フランス語による初等科を設けたので「高等仏語」はアテネ・フランセと改称された。
1916年 初めて独立校舎となった。暖房は当時火鉢であった。教授陣も充実し、高等科・初等科の他に中等科・中等予備科が加わり、更にギリシャ語・ラテン語の教養科が併設された。
1920年 フランス語普及の功績により、日本で最初の prix de l’Académie Française を受賞。
1922年 第一次大戦連合軍最高司令官 Joffre 元帥がアテネの文芸大会に臨席した。
戦後学生数が急増し500名を越えた為、神田三崎町の新校舎に移転。
1931年 10月 フランスの文部省令により、アテネ卒業生には仏国大学無試験入学の資格(Baccalauréat ès lettres)を与えられた。
1944年 12月 戦争末期の空襲のためやむなく学校を閉鎖。
1945年 12月1日 閉鎖して11か月後、神田駿河台文化学院内で授業を再開、この日はNHKニュースで全国に放送された。
1947年 終戦直後は電力事情が悪く、時には停電に見舞われ蝋燭の灯で授業を続けることもあったが、学生数が急増し、遂に2,000名を越す。
1949年 5月23日 創立者 Cotte 先生死去。アテネは遺言により財団法人となる。第2代目校長 松本悦治が就任。
1954年 学生数が3,000名を越えたため、現在のアテネ所在地に分教場を建て英語科だけを移転させた。
1962年 4月 その分教場の代りに、現在の校舎を新築、高松宮殿下・同妃殿下が落成式に臨席された。建築学会賞受賞。
1964年 地下二階が増築されCREDIFの視聴覚教室が発足。
1970年 5月 四階と塔の増築が完成し、文化センターが誕生した。
1973年 研究室・録音室・学生控室の拡張工事が完了。
1989年 2月 アテネ・フランセ文化センターが日本映画ペンクラブ賞を受賞。
1993年 松本悦治校長オフィシエ・ドゥ・ラ・レジョンドヌール勲章受章。
1995年 英語を含めてクラス総数240。90名の講師の指導の下に常時6,000名の学生・社会人が勉学を続けている。
1998年 英語のTOEIC委員会の依頼により本試験会場となる(年6回以上)。
2004年 「10 minutes en France」CDを月一枚製作(計14枚)。
2006年 東京大学工学部の英語の授業を受託。
2007年 Jリサーチ出版より「ゼロからスタート フランス語」を出版。
2009年 耐震補強工事実施(田中弥寿夫先生 U研究室)。
2012年 100周年に向けて在日フランス人の設計士だけのコンペを実施、CRC設計事務所を選定し、内装、改修工事完了。
第3代校長に松本のゑみが就任。
2013年 1月21日 アテネ・フランセ創立100周年の記念日。


創立者 ジョゼフ・コット


初めての独立校舎(1916年)


神田三崎町の校舎(1925年)


増築された三崎町の校舎(1929年)


旧校舎(1950年)


授業風景(1950年8月)


現在の校舎(2012年)